2人目が欲しかったんじゃ~!

いきなり何だという感じですが…

突然ですが、私は子供2人欲しかったのです。

※以下、かなり拗らせてます。大丈夫な方のみ読んでください。こいつヤバそうだなと思ったらそっとUターンしてください。

 

小さいうちは兄弟がいれば、1人のときよりもいろいろな経験がさせてあげられると思ったし、自分が2人兄弟だったからというのもあるかもしれません。

ただ、現実として今は1人だけ…

2人目が産めない(産みにくい)原因は1つではないですが、そのうちの1つはもちろんメニエール病です。ついでなんでここで全部書いていきましょうか。

 

①私自身がアラフォーな上に、体重が増加傾向にある(ダイエットしろ)

 

②1人目の時に事実上の切迫早産で妊娠後期は自宅安静をしていた過去があるので心配

→①②の内容から出産リスクが1人目のときより大幅に上がってしまっている気がした

 (②は母子手帳に書かれたわけでも直接言われたわけでもないのですが、事実上の切迫早産になってしまったので、2人目のときも同じことが起こる可能性があるということです。実際は人それぞれみたいですが。)

 

③旦那さんがそもそも2人目いなくていい派

→旦那さんからすると経済面が心配というのもあったようです。ただ、そこは私もパートでも何でも働くつもりでいたので、それは伝えたのですが、それでも旦那さんは消極的でしたし、理解してもらえなかったように思います…ちょっと辛かったです。

実際に今働いていないのだから何も言えないのですけどね…(だからこそブログで過去の辛かったことを書き綴り整理し、自分の中でケリをつけたいという思いもあります。)

旦那さんがそういう気持ちだったので、やっぱり心理的に壁のようなものをずっと感じてしまいました。何回か2人目欲しいって言ったんだけどね。ダメでした。家族だけど、所詮他人なんやな…と今思うと痛感します。

1人目の子も生後半年過ぎた辺りから夜泣きが始まったり、途中で目が覚めるということもあったので、致すこと自体が中々難しかったというのもありました。みんな同じ部屋で寝てるので、途中で子供に見られたらね…気まずい…よくしゃべる子だったから尚更。

 

②~③は元々あった理由ですね。で、それでも2人目欲しいなとずっと思いつつ、③で心理的にずるずる引きずり①が徐々に顔を出し、子供がもうすぐ幼稚園でやっぱりそろそろラストチャンスだよなと思っていたタイミングで最悪の④が追加になります。

 

④私自身がメニエール病となり、薬漬け生活になってしまった

→ここで決定打決まった感じでしたね。今も過去のことをちょこちょこ書いていますが、最初は難聴だけ治ればもう大丈夫。まだチャンスはあると思ったんです。だけどそこから先は約9ヵ月の繰り返すめまい発作生活を余儀なくされるわけです。(詳細は是非ブログの他の記事も読んでください。)

その後1年は発作は起きませんでしたが、季節の移り変わりで起きるんじゃないか、また突然ボーの耳鳴りが始まるんじゃないかとかなり警戒していました。

(約1年ちょっと後にまためまいは実際に起きてしまったし)

元気でも何となく自分の体調が信用できませんでした。え?大丈夫?本当に大丈夫?みたいな。もちろん、今でも信用していません。(だからこそ先に進めないのでは?というツッコミを入れたくなる)

 

コロナも流行っているし、不安もありました。それでも産んでいる人たちがたくさんいます。コロナにかかるリスクや不安があるのに、本当にすごいと思います。

それに比べて私はメニエール病にかかって何やってるんだと今でも自分を責めたくなる時があります。(他人と比べちゃいけないのは頭では分かっていても、元来のネガティブ思考が出てしまう…)

薬をたくさんの種類を飲んでいた時期もあります。自分でも軽く調べたのですが、イソバイドシロップやアデホスコーワ等は妊娠に影響が出るようなので(※素人発言なので、詳しくはお医者さんに聞いてください)、それらを飲んだ状態で妊娠生活はできないし、したくありません。少なくとも2人目産むなら薬をゼロにし、めまい発作がない状態を保てていないとかなり厳しいですよね。おなかの子供に迷惑をかけたくないし、私自身もそんなリスクの高い状態で妊娠生活をしたくありません。

 

1人目のときでさえ、つわりだの体重管理だの血液検査に引っかかるだの切迫早産で安静にせい子宮頚管が短いだのとにかく心配ばかりで、あまり妊娠生活を楽しめませんでした。無事におなかの子が元気な状態で産めるのか等、今思えば自分の中で神経質な面が出すぎてストレスフルだったかもしれません。

まぁとにかく1人目のときでさえ、ストレスフルでいろいろ大変だった記憶が大半を占めているので、2人目のときはただでさえ年齢的にもリスクが上がるのに、その上メニエール病の影響のリスクを背負いたくないわけです。

あと3年~4年くらい若かったらな…行けると思ったかもしれないけど。40超えて産んでる人もたくさんいるけど、自分には行ける気がしないんです…いろいろ考えているうちに、年も重ねてしまうし…

 

後、子供同士の年齢が離れてしまうと、最初は良くても後に段々話題が合わなくなってしまいやすいんですよね。私の場合は弟だったので特に(6歳差です)。同性ならまだいいかもしれないけど。離れれば離れるほど、成長と共に流行だったり話題の世代感が違ってくるというか。だから私は兄弟は2~4歳くらい離れているのが理想でした。もう叶いませんけどね…

これに関しては、子供同士の性格や相性もあるし、大きくなっても仲良くねってわけにもいかないから一概に言えないけどね。

 

それと、私元々妊娠しにくかったんですよね。

多嚢胞性卵巣症候群(たのうほうせいらんそうしょうこうぐん)っていうんですけどね。

1人目を授かるのにも中々の紆余曲折がありました。大変でした。

2人目も苦戦するだろうと予想していたものの、リアルに1人目のお世話で精一杯で、子供1人を抱えながら不妊治療に行くパワーまでありませんでした。あと、自宅近くに良さげな産婦人科がなかった。

 

だから今でも周囲で2人目できたよ~って声を聞くと、普通に羨ましいし、自分も欲しかったって思うんです。(おめでとうという気持ちもちゃんとあります。そこは大丈夫です。)

それと同時に何で自分はできなかったんだ、メニエール病になんかなったんだという自分に対する怒りの気持ちが今でも込み上げてきます。

…分かってますよ、自分が相当拗らせてることくらい。

多分ここで自分の拗らせた思いを出し切っても、後からまたいくらでも出てくると思うし、下手したら死ぬまで拗らせてるかもしれません。

自分で自分を許せないのかもしれないですね。この思いが浄化されるのはいつかね…

 

今、こうやって言語化して振り返ると、2人目ができなかったのって、自分の落ち度(ヤル気度というか、2人目産むために自分でももっとできたことあったよね?ということ)もあるし、自分ではどうしょうもない理由も両方複雑にいろいろとあったんだなっていうのが分かりました。(今更?)

 

しかし、この拗らせを消化できないと、こんな感じで一生ぐるぐるやってるんだろうな…

 2人目できた報告

 ↓

 おめでとうと同時になんで自分は2人目できなかったんやとキレる

 ↓

 自分を責めて拗らせる

 ↓

 でも子供1人来てくれたし、旦那さんもいて幸せ

 ↓

 2人目できた報告に戻り、無限ループ

 

散々真っ黒な拗らせた思いを書きなぐりましたけど。

じゃ今子供1人で不幸なのって聞かれると、それは違います。

子供1人だって私は幸せです。

大好きな旦那さんと子供と家族2人いて幸せです。それだけは確かです。

私の場合は、もしかしたら子供のいない選択肢を取らざるを得なかった可能性もあったわけですから、1人来てくれただけでも、本当にありがとうなんです。

だから、ちゃんとこの拗らせを浄化して先に進まないとなんですよね。

 

ちなみに、子供にいつか「何で一人っ子なんだ?兄弟欲しかったんじゃ」と言われたら、全力で土下座して謝る覚悟です。(大げさすぎ)

以前、食卓で子供に「何で自分の上におにいちゃんがいないんだ」って聞かれたことはあります。さすがにこれはちょっとどうしょうもない案件なんですが、この会話をしているうちに、自分の目に涙が溜まっていたことは秘密です。

 

いつか、2人目欲しかった拗らせ感情が浄化されますように。

…これ最後まで読んでくれている方、いらっしゃらないと思いますが、読んでいただき、ありがとうございました。